若神子(わかみこ)

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須玉町には珍しい地名がいくつかありますが、そのひとつ若神子について由来を調べてみました。

若神子地区は須玉町が制定される以前は若神子村でした。韮崎市との境を南端に、北は津金地区の入り口にあたる万年橋まで南北に細長い位置にあります。東に須玉川が流れ、西は大部分が高根町に接しています。須玉町役場はこの若神子地区にあり、古来より水利や交通の要地で江戸時代には宿駅として栄えました。甲斐源氏発祥の地と伝えられる城跡(若神子城)が国道141号を挟んで役場の反対側の小山の上にあります。

■『若神子村史』によると、熱田大神(日本武尊)の子である若神子神の遺跡ではないかとあります。その遺跡の存在は確認されていませんが、そのいわれのある東屋という祠(ほこら)が若神子地区に今も残っています。しかし、この説は確定的なものではなく、結局のところ若神子の地名の由来についての断定的なものはないといういうことです。


若神子の村名は、何となく由緒のありそうな名前であるが、その起源、由来等を明確に知ることは困難である。而し、甲斐國志も続日本後紀を引用して、若神子神の遺跡ではあるまいかと推定して居るが、只今では、この程度で満足するより致し方がない。 (中略) 続日本後紀によると、日割御子神孫若神子神、高座緒御子神、三神は、熱田大神の御児神とあるので、つまり日本武尊の御子さん方である。日本武尊が東夷征伐の途すがら、わが甲州に御入國なされたことは、古事記、日本書紀により明らかで、本県に日本武尊に関係のある遺蹟が多数にある所以である。本村にある東屋(吾妻)さんも亦その一である。ゆえに本村は日本武尊の御子さんである若神子神の御名代であると決定するも、あふがち無理ではあるまいと思われる。故に若神子神の御名を永遠に傳える為につけた村名であると記録して置く。 
 『若神子村史』抜粋
■これとは別に、若神子は『若巫』(みこ)だったという資料もあります。文安3年(1446)に建立された長泉寺の名号板碑に若巫郷との刻銘があるそうです。
 資 料
  1. 『甲斐国史 第二巻』 pp.287−288 昭和45年 雄山閣
  2. 『甲斐志料集成 第二巻』 pp.550−551 昭和55年 歴史図書社 
  3. 『図説 韮崎・巨摩の歴史』 p.83 平成12年 郷土出版
  4. 『若神子村史』 pp.28−31 昭和30年 若神子村役場

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