津金御所前遺跡

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津金の地は山梨県において屈指の遺跡包蔵地であります。また、戦国時代に辺境武士団として活躍した津金衆のふるさとでもあり歴史的に重要な土地です。
大泉村の金生遺跡や高根町の石堂遺跡とほぼ同じ標高にあるこの地(相の原台地)にもそれらに匹敵する一大集落が眠っているのではないかと以前から考えられていました。
そして、圃場整備事業に伴い、昭和56年9月16日から11月3日にかけて発掘調査が行なわれました。
T 試掘
5月26日から2週間行われた試掘調査の結果、調査地域のほぼ全域にわたって遺跡が確認され、時代も縄文時代を中心に平安時代、中世にまたがる複合遺跡であることも判明しました。
U 遺跡の立地と環境
遺跡は須玉町下津金字御所前に位置し、須玉川とその支流の波竜川とにはさまれた相の原台地にあります。
この台地は、標高約750mから800m。南北約2km。東西約750mから500mの細長い逆三角形をした南向きのなだらから傾斜をもつ台地です。須玉川がなす深い谷によって西の八ヶ岳南麓の広大な地域と一線を画しています。周辺では桑原遺跡、原の前遺跡、御屋敷遺跡などいくつかの遺跡がすでに調査されており縄文時代の住居跡や遺物が発掘されています。
V 遺跡の概要
遺跡の基本層
遺構は柱穴から住居の輪郭が推測できる住居址1と、はっきりした輪郭をを持つ住居址4軒のほか、土坑群2が検出されました。
出土遺物は、水煙形大把手付深鉢、人面把手付深鉢、人面(人面といよりは獣面)付深鉢、浅鉢、磨製石斧、打製石斧、石匙、琥珀玉などです。
3号住居址は曽利T期といわれる縄文時代中期後葉の初めに属するもので、山梨県八ヶ岳南麓より初めて発見された住居であるばかりでなく、出土遺物も大渦巻(おおうずまき)文把手付深鉢などこの時代の最高水準をゆく遺物が出土しました。
重なるように出土した水煙形大把手付深鉢(右下実測図1)と人(獣)面形把手付深鉢(実測図2)、これはいわゆる出産土器とは別のものです。

右の実測図1は町指定文化財の水煙型(大渦巻文)大把手付深鉢です。

実測図2(ふたつ)は獣面形把手付深鉢です。
大渦巻文把手付縄文土器


5号住居址からは人面把手付深鉢が出土しています。石囲炉の南にある地床炉の真上に圧倒破潰していました。井戸尻考古館の武藤雄六氏によって完全復元されました。
発掘の手順については「発掘ってどうやるの?」を参照してください


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