津金学校の歴史

みなさんが、昨年と今年、それぞれたった一日だけ、津金一日学校として、勉強するこの学校は、津金学校といいます。いまから138年前に建てられた学校です。小学校としての歴史はすでに幕を閉じましたが、今は学校の貴重な資料を展示しています。
いまから約130年以上前。日本には「学校」はありませんでした。
寺子屋とよばれるところに近隣のこどもが集まり、習い事や勉強をしていました。
江戸から明治時代となり、明治5年[1872]「学制」の発布により、アメリカやヨーロッパのように、こどもたちのために「学校」を造ろうと決めました。津金学校は明治6年創立、当時は就業生が150人程もいたそうです。明治8年[1875]に、この木造校舎も建ちました。
洋風で和風な面白い建物です。「擬洋風(ぎようふう)建築」といいます。難しことばですが、「洋風をまねる」という意味です。むかしの大工さんや左官職人さんたちが、西洋建築をほとんどまだ見たこともなく知識がないままに、外観を洋風にまねして、日本の伝統的なわざを用いてつくりました。『開化式(かいかしき)』『藤村式(ふじむらしき)』建築とも呼ばれます。「ふじむら」とは、当時の山梨県令(知事)をつとめた藤村紫朗にちなんでつけられました。「新しい教育は新しい校舎から」というのが藤村さんの口癖だったようです。当時、建設には村の人がお金を出しあいました。新しい教育にかける思い)がここに込められています。



明治時代、山梨には、こういう学校が沢山つくられました。 その後、明治20年[1887]、「津金尋常小学校」に名前が改められ、その後も、太平洋戦争直前になると「津金国民学校」となりました。 戦後の昭和22年[1947]、「津金村立津金小学校」となり、「中学校」もつくられました。 しかし児童数はやがて少なくなり、昭和60年[1985]小学校は閉校となりました。

その校舎が、いまこうやって使われています。(解体修復復元) 
現在、1F教室はカフェになり、地域とさまざまなひとの出会う場所にもなっています。135周年を迎えた平成22[2010]、卒業生や地域のひとも集まってみんなで開校日をお祝いしました。再び津金学校を、こどもたちやみんなが集まり学ぶ学校にしようと、考えました。 そして、平成23年[2011]8月「津金一日学校」が初めて開催されました。
ちょっと風変わりな先生3人と地元のこどもたちとの聞いたこともない不思議な授業。数十年ぶりに賑やかな声が響き渡りました。